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2005/02/20

からくりサーカス (36)

舞台は黒賀村からアメリカはイリノイのゾナハ病研究所へ。一度自動人形たちに襲撃され、自力で撃退することはできずにしろがねに倒してもらったというのに、場所も移さず研究を続行していたとは危機管理がなっとらんような。
なっとらんのはフゥも同じで、というか傍観者を自称する上に自分自身は死ぬ危険もないのでゾナハ病蔓延を真面目に食い止める気がなくとも無理はないとは思うけど、次巻(たぶん)のバンハート博士たちのエピソードが説得力を無くす時間の浪費ぶり。
研究所からの連絡が途絶える→アメリカ・ハリウッドのミンシアに連絡→ミンシアが日本・四国まで行く→鳴海・生方・ミンシアがイギリス・ロンドンへ移動→メンバーが揃ったところで説明会→アメリカ・イリノイへ移動。一刻を争うときに何やってますか……。
ギイにだけ説明しておいて、あと全員イリノイで合流すればいいのに。せめて鳴海に直接連絡すりゃ、少なくともハリウッド→四国の移動ロスは不要だったわけで。なんで自動人形を倒すことに人生捧げてる鳴海を差し置いて、「世界の危機より女優業」という選択をしたおねーちゃんに連絡するかなー。
まあ、作者が「ミンシアが映画の衣装を着たままで鳴海に会いに来る」という絵を作りたかったからでしょうが。

どうもこのところ作者の意図が○○だから、とか考えずにはいられない不自然な展開が目立つような気がする。
前巻でエレオノールが突然さらわれたのが腑に落ちなかったんですが、この巻を見てたぶん阿紫花三姉妹をゾナハ病のままにしておきたかったからだなと思ったり。しろがねがいると黒賀村の人々全員直ってしまう。鳴海と勝で背負っているものの重さが違いすぎるので、勝側に調整をいれたのかなと。平馬を直してユリを直さないってことは、平馬を参戦させるってことなのかな?

最古の四人にしてもどうも唐突感が。サハラ以降に再登場した彼らはフランシーヌを忘れてるかのような印象だった。フランシーヌがいなければ存在する意味はないと思っているなら、真っ先にフェイスレスに聞くべきは何故自分たちを助けたかではなくて、「フランシーヌさまはご無事でしょうか?」ではないかと。無事だと言えば会わせて欲しいと主張し、知らないと言えば探しに行く、もう壊れちまったよと言われれば即活動停止か崩壊、自動人形の死を迎える。しかし彼らは問うこともせず、作中の時間で8か月だかを過ごしたわけで。忠誠心が足りないんじゃないかえ?

ああ、なんかプラスな感想はないのか。えーとえーと、ギイを心配する鳴海が腐女子的にちょっとおいしかったかな? そんくらい。

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